歴史

コカ・コーラ社の歴史についてまとめました

コカ・コーラの歴史と市場規模を語る

1日1本以上はコカ・コーラを飲むくまねこは糖尿病を恐れずにコカ・コーラを溺愛しています。市場に興味を持ったので飲料系に関わる企業紹介をしていきたいと思います。

 

コカ・コーラの歴史

コカ・コーラの原型の開発者

コカ・コーラの生みの親 ジョン・スティス・ペンバートン
ジョン・スティス・ペンバートン博士

現在では、清涼飲料水として世界的に愛されているコカ・コーラですが、原型は薬でした。

モルヒネ中毒に苦しんだ博士による開発

開発者のジョン・スティスペンバートン博士は1865年4月に南北戦争のコロンバスの戦いで胸にサーベルの傷を負いました。しかし痛みを和らげるために当時使用されていたモルヒネ中毒になりました。

1866年、彼は新たな治療法を求めて、モルヒネを含まない鎮痛剤の実験を始めました。

彼は次にコカとコカワインの実験を開始し、最終的にはコラナッツ(カフェイン)とダミアナの抽出物を含むレシピを作成しました。(ペンバートンのフレンチワインコカ)

 

薬物中毒、うつ病、アルコール依存症、退役軍人の治療に効果的であると宣伝されました。

糖尿病の代名詞のように語られるコカ・コーラですが、昔は健康食品だったのです。

 禁酒法制定によるアルコール成分の除去・炭酸の誕生

そんな中、1886年に禁酒法が制定されワインコカに含まれるアルコール成分が問題となります。試行錯誤のなか、調合した飲料のレシピをテストする際、シロップに炭酸水を入れることを思いつきます。コカ・コーラと名付けられ、1886年にアトランタの薬局で販売されました。

当初95 Lの販売であったコカ・コーラは翌年度には3000Lと大幅に売上をふやしていきました。当時のコカ・コーラには原料のコカが入っており、AAAなどの等級で使用されるコカの含有量が違いました。※現在はコカ成分は含まれていません。

ペンバートン博士はモルヒネ中毒に依然として苦しんでおり、事業売却を試みます。式「いつかは国民の飲み物になる」という考えを持っていたので、息子に任せるために所有権のシェアを保持しようとしました。

しかし、ペンバートンの息子は即金が欲しかったので、1888年にペンバートンと彼の息子は特許の残りの部分をアトランタ薬剤師、アサグリッグスキャンドラーに1,750米ドルで売却しました

1892年にアサグリッグスキャンドラーと弟のジョン、フランクM.ロビンソン、および他の2人のアソシエイトと共にコカコーラカンパニーと名付けられ、資本金100,000ドルで設立しました。

設立にあたりコカ・コーラシロップの処方を変更して、純粋な食品医薬品法に反さないようにコカインが含まれないようにしました。

なお息子のチャーリーは父親の製法を売り続けましたが、6年後、アヘン中毒になって死亡しました。

炭酸飲料という新しい薬用飲料について顧客や他の人に知らせるために、コカ・コーラのブランド名と「Drink」などをしめす手描きのオイルクロスの看板が置かれました。

初年度の販売では、1日あたり平均9本のボトルが販売されました。

禁酒法による代替飲料として急速に販売が増えて行きます。

コカ・コーラ秘伝のレシピ

コカ・コーラボトラーはそれぞれの国で作り方が違う

コカ・コーラ社は濃縮物を生産し、その後、世界中の認可されたCoca-Colaボトラーに販売します。会社と独占的な領域契約を結んでいるボトラーは、濃縮水から濾過水と甘味料と組み合わせて缶とボトルで完成品を生産します。

そのため、国に応じてコカ・コーラの味は異なります。

世界最大のフランチャイズ企業とも言えます

350 ml缶には、38グラムの砂糖が含まれています。

その後、ボトラーは、コカコーラを世界中の小売店、レストラン、自動販売機に販売、流通、販売します。

秘密で管理された企業秘密のコカ・コーラシロップのレシピ

コカ・コーラには下記の原料が含まれておりますが天然香料の正確な処方レシピについては企業秘密です。

  • 炭酸水
  • 砂糖(原産国に応じてショ糖または高果糖コーンシロップ(HFCS))
  • カフェイン
  • リン酸
  • キャラメル色(E150d)
  • 天然香料

レシピの元のコピーは、86年にわたってアトランタにある銀行に保管されていました。その前身である信託会社は、1919年のコカ・コーラ社の新規公募の引受会社でした。2011年12月8日に、元のレシピは、新しい金庫に移動しました。

アトランタのダウンタウンにあるコカコーラの世界博物館への訪問者のために展示されています。

2人のエグゼクティブのみがレシピにアクセスできるとのこと。これは一人が事故にあった際にバックアップとなるためだそうです。

コカ・コーラのマーケティング・ロゴの変移

初期のコカ・コーラはドリンクの宣伝に無料引換券を使用しました。1913年までに、同社は850万のチケットを引き換えました

初期コカ・コーラの無料引換券
初期コカ・コーラの無料引換券

初期のコカ・コーラのボトルは直線的ないわゆる瓶のかたちをしていました。

模造品が急増したことから、丸みを帯びた瓶を開発します。

よくいうマーケティングではコカ・コーラは女性の体をイメージしたことで売上本数を上げた、というものがあります。

初期のコカ・コーラボトル
初期のコカ・コーラボトル
現在のコカ・コーラボトル
現在のコカ・コーラボトル

コカ・コーラの有名な逸話ではサンタクロースの赤白衣装がコカ・コーラ社の広告によるもの、というもの。

これは真でもあり偽でもあります。18年代のサンタクロースは緑の服を来ていたり、ソリを引く手前小型でした。ステレオタイプな赤サンタクロースは20世紀に入り記載されています。

1843年のサンタクロース
サンタクロース1843年

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赤白サンタはコーラ社が1930年にトラックに記載してマーケティングしたことで有名になります。1905年には現代のサンタとして描かれているものもありますが、一般的な認識として赤白裕福そうな老人、という印象にしたのはコカコーラ社の影響でしょう。

1905年のサンタクロース
1905年には現代人が想像するサンタが書かれている

コカ・コーラ社の時価総額とブランド力

時価総額

2019年10月現在の時価総額は23,130億ドル(約25兆円)となっています。

製造を担当するコカ・コーラボトラーを切り離し、ブランド提供する会社となることを目指しています。そのため年々売上高は減少していますが、利益率は拡大しています。

北朝鮮とキューバを除く世界各地で販売されています。

中東では「イスラム教徒がコカコーラとペプシコーラを飲むことを許可されるかどうか」という問題が議論されました。イスラム法学者は、コーランが特定の製品の消費を明確に禁止しない限り、消費することは許される、としています。

みんなコーラは好き、ということでしょう。

ブランド力

「最高のグローバルブランド2019」調査に基づくと、コカコーラは世界で5番目に価値のあるブランドです。*2

コカ・コーラ社は現在500を超える飲料ブランドを持っており、売上高10億ドル以上のブランドを21持っています。

いかがでしたでしょうか。筆者はハードなコーラ・レッドブル党なので調べていて楽しかったです。

くまねこはコカコーラ社の発展を応援します。

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