アメリカで水着の露出が多すぎて水泳大会の優勝者が失格になる、という事件がありました。
また2019年10月にはフィリピンのリゾートで台湾人が紐の水着を着たことで罰金刑を受けています。
過激な水着というものは時代時代によって変わります。
現在の競泳水着や海水浴用水着のかたちに代わっていくのはどのようなものだったのでしょうか?
120年に渡る水着の歴史とともに振り返ってみたいと思います。
この記事を読み終えることで、水着がいかに薄くなっていったかがわかります。
19世紀以前の水着
19世紀以前の水着は海水浴用に特別なものを用意する、という認識ではありませんでした。
下着姿や古着、あるいは裸での入水が行われており生地も特別なものというわけではありませんでした。
ボンペイなどでツーピースの水着が壁画に描かれていますが、水着として使用されていたかどうかはわかりません。
実際のところ、遊泳はシーンは裸で描かれており、一般的なのはこちらなのではないでしょうか。
19世紀に入り、産業革命が起こり鉄道網が発達しました。旅行という概念が生まれ、海に旅行に行く人が増加していきます。
海水浴場という見知らぬ人と出会うことが増えてくるようになると服の素材が変化していきます。
1858年の水着は水に濡れた際に肌が透けて見えないよう、サージやフランネル・アルパカなどの素材が使われます。上下一体の水着が使用されています。
19世紀の水着まとめ
・1890年以前は裸での遊泳が多かった
・1890年代は水着というよりほぼ肌着
・この段階では露出というものはほぼない
1900年代
20世紀に突入すると、水際でパチャパチャするような遊びではなく、競泳・水泳といった実用性が重視されてきます。ガチ勢の誕生です。
オーストラリアの水泳選手アネット・ケラーマンは英仏海峡の水泳横断に挑戦した最初の女性です。
海峡横断の経験から、より動きやすい水着を求めます。
女性の水着が泳ぎづらいく体にフィットした軽い水着が必要だと主張し、自ら開発した水着を販売します。
1912年のオリンピックでの大活躍し、フィットタイプの水着が世界に浸透していきます。
しかし当時の貞操観念からは批判が続出します。
体のラインがはっきりでる首周りや手足が露出したワンピース型の水着をボストンビーチで着用した際、公然わいせつ罪で逮捕される事件が発生しました。
※現代人の感覚では極めて遺憾です
なお、水着という言葉が生まれたのは1915年にレッドダイビングガールという水着ブランドを立ち上げたセーターメーカーが由来です。
1910年代の水着まとめ
・フィットタイプの水着が登場
・水着という言葉が生まれ始める
・身体のラインが出る服にはまだ市民権がありません
1930年代
1930年代の水着は首周りからの開放がおきました。
短いスカートのついたキルト式水着や、スカートを省略し上下を一体縫製した、半月型の深い胸ぐりと身頃から裁ち出した幅の広い肩ひもを持った
「タンク・スーツ(タンクは水槽、室内プールを指した)」が流行します。
キルト式水着は現代でいうところのスクール水着です。
1900年の基準でいうと逮捕レベルの卑猥な水着を学校で着ているわけです。
胸も足も少しずつ短くなっていきます。
1930年代の水着まとめ
・フィットタイプの水着が一般的になる
・スクール水着が市民権を得る
・フィットタイプの胸元・足を強調するようになる
1940年代
1940年代ではまだ一体型の水着を着用しています。
当時の時代背景として第二次世界大戦中のまっただなかです。
戦時生産には、膨大な量の綿、絹、ナイロン、ウール、革、ゴムが必要でした。
1942年、米国 戦争生産委員会は衣類の天然繊維の使用を削減し、女性のビーチウェアの生地の量を10%削減することを義務付けました。
規制に準拠するために、水着メーカーはツーピースの水着を製造しました。
なお布地の不足は終戦後もしばらく続きます。
水着業界に薄着化の波が押し寄せます。
1946年にはフランスにてビキニが誕生します。薄い水着時代の到来です。
※ビキニの由来は原爆実験が行われたビキニ岩礁が由来といわれています。
1940年代の水着まとめ
・戦争の影響で一体型の水着を作ることは困難に
・2ピースの水着を販売したところファッション性から普及が進む
・ただし、この時点ではツーピースはまだ過激な水着という社会風潮
1950年代
1955年にカリフォルニアにてディオールが水着のコレクションを発表します。
締め上げられたバストラインとウエストに水着に加え
体形の良いモデルがイヤリング、ブレスレット、帽子、スカーフ、サングラス、ハンドバッグ、カバーアップなどの小物と一体化させ世の女性のあこがれとなっていきます、
1950年代初頭はツーピースタイプの女性が過半数を占めていました。
そこで水着メーカーはファッション性を持たせることを水着の販売戦略としました。
女性をファッションの中心とし、ミスコンが生まれました。
美しい女性の写真と面積の少ない水着をセットで写真化することにより、美しい=面積の少ない布を世界に浸透させていきます。
素材開発についても戦争が一段落し素材も開発が進みます。
ポリエステルやアクリルなど、速乾性を備えたスクリーン印刷技術の他の合成材料が開発されていきました。
ある意味で50年代は水着という見た目を一番変えた年代かもしれません。
1950年代の水着まとめ
・水着にファッション性を持たせた
・ミスコンの誕生により、美しい女性=薄着という意識が定着
・合成材料の開発に伴い競泳水着など遊泳性能も上がる
1960年代
1950年代のステマの効果もあり、一般女性にもツーピースが一般的になってきます。
画期的なデザインは概ね10年ほどで浸透しているイメージで進んでいますが、60年代に開発されたトップレスといったものは60年たってもあまり浸透していません。
まだ早すぎたのかもしれません。
1970年代
水着の面積はさらに狭くなっています。
70年代で特筆すべき事項は競泳水着の進化です。
東ドイツのでは体の形にぴったりと合ったスーツ、いわゆる「スキンスーツ」を採用しました。
当初綿で作られてましいたが、濡れるとほぼ透明になるため水泳選手の間では浸透しませんでした。
一方、1973年の世界水泳選手権では、東ドイツの女性が14のイベントのうち10を勝ち取り、7つの世界記録を樹立しました。
新しい合成素材で製造された水着が競争力のある水着として採用されるようになります。
余談ですがヌーディストビーチがこの年代で生まれています。
1980年代
今見ると正直エグいデザインですが、ハイレグが流行します。
恥骨付近を露出させる、というのがこの時代の特徴ですが、その後の時代には無くなっていることから、一般受けするデザインではなくなってきていると感じます。
なお、ハイレグをデザインした水着デザイナーはその4年後に亡くなっています。死ぬ間際までこの攻めた姿勢…嫌いじゃないです。
2000年代
2000年、サメの皮を模したファストスキンという水着を発売しました。
これまでの競泳水着が抵抗を邪魔しないものであったのに対し、水の流量を利用して効率化できるように開発されています。
首から足首、手首に至るまでほとんどの身体を覆い、特定の泳ぎのストロークに合わせて形状が最適化されました。
2000年のオリンピックで使用されメダルの83%を獲得するのに役立ちました。
が、あまりにも勝ちすぎるためFINAによって利用が禁止されました。
2009年7月、FINAは2010年から競技会での非繊維(不織布)水着の禁止を規定しました。
新しい規定では、男性の水着は臍から膝まで、女性の肩は膝から膝までの領域を最大限にカバーできると述べています。
視覚効果でウエストに眼がいきますが、一般的な水着はほとんど変化がありません。
水着130年の歴史をざっくりとまとめてみました。
もと画像を動画で見たい方は下記を見てみてください。
Watching Bikinis Evolve Proves We're Living In The Best Time In Human History
今後水着がどのように進化するのか、紐水着や無着衣も100年後にはオリンピックで採用されているかもしれません。
水の抵抗という面から見ると巨乳は競泳には向いてないので見る側には面白くないのかもしれません。
紐の普及を心から応援しております。